竹内まりや2025年4月より何年ぶり?アリーナツアー!69歳そのパワーの秘密?

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シンガーソングライターの竹内まりやは、昨年でデビュー45周年を迎えました。彼女の手になる楽曲は数知れず。

薬師丸ひろ子、中森明菜、中山美穂などの数多くの歌手に作詞・作曲を提供し、いずれもヒットさせています

2018年突然竹内まりやの「プラスティックラブ」が世界中でヒット。今でも海外からのファンレターが竹内のところに届く。

来年は11年ぶりアリーナツアーもあります。そんな竹内の69歳とは思えぬ八面ろっぴの活躍ぶりを切り取ってお伝えします!

Souvenir2025 mariya takeuchi liveスケジュール

11年ぶりになる竹内まりやライブスケジュールです

大和証券グループ Presents
「souvenir2025 mariya takeuchi live」
supported by エアウィーヴ

愛知を皮切りに6月25日の横浜まで全国8都市14公演会場で開催されます。(以下の一覧では、コンサート会場は、関東地方に限定しました)

2025年5月17日(土)東京 日本武道館 17:00開場 18:00開演
2025年5月18日(日)東京 日本武道館 17:00開場 18:00開演
2025年6月  3日(火)神奈川 横浜アリーナ 17:00開場 18:30開演
2025年6月  4日(水)神奈川 横浜アリーナ 17:00開場 18:30開演
2025年6月24日(火)神奈川 Kアリーナ横浜 17:00開場 18:30開演
2025年6月25日(水)神奈川 Kアリーナ横浜 17:00開場 18:30開演

竹内まりや2025ライブチケット情報

※10 月23日リリースのアルバムにチケット先行申し込みができる「マジックカード」が封入されています。でも、抽選はおわりました。

※チケット一般発売日は未発表です。(11月11日時点)

e+(イープラス)の会員登録(無料)を済ませておきましょう。すでに、イープラスの会員登録をお持ちでしたら、そのまま進めます。

チケット料金 指定席:15,000円(税込み)

※最新のチケット情報・ライブ日程などは、竹内まりや公式ホームページ(LIVE)で確認できます。

竹内まりやが40年前に作った「プラスティックラブ」が2018年突然世界中でバズったワケ?

刺激的な言葉で彩られた楽曲「プラスティックラブ」。これは竹内まりやが夫の山下達郎を驚かせようと書いた作品とか。

♪「突然のキスや熱いまなざしで、恋のプログラムを狂わせないでね。出会いと別れ上手に打ち込んで、時間が来れば、終わるDon’t  hurry! ・・・私のことを決して本気で愛さないで、恋なんてただのゲーム・・・氷のように冷たい女だと!」というからまりやファンも達郎氏もビックリなさったことでしょう!

そんな40年前の楽曲が時空を超え2018年の世界でヒット!逆輸入という形で日本にもたらされたのも記憶に新しい。2年前には、あの藤井風もカバーをしています。

この「Plastic Love 」の全世界的ヒットについて、2018年当時、音楽ライターのパトリック・セント-ミシェル氏は「音楽新時代」に寄稿している。

「2018年、日本のポップスは残念ながら国外であまりヒットしなかった。たった1曲を除いてだ。実は、驚くべきことに、ある一つの楽曲が、世界中で熱狂的なリスナーを生み、沢山のファンアートや英語カバー、ミームを生んだ。驚くべきは、これが30年前(現在からなら40年前)の曲ということだ」とコメント。

『プラスティック・ラブ』の非公式のYouTube 動画は、この記事執筆時で2,400万回以上再生されています。日本のポップス史上、実に画期的な楽曲なのです。

竹内まりやの英語はお父さん譲りその後米国留学でブラッシュアップ!

1955年島根県出雲市生まれで、実家は旅館業。父親がアンディー・ウイリアムスなどのアメリカンポップスが大好きで、自然と竹内まりやも英語にも慣れ親しんだようです。高校2年~3年にかけて、米国に留学。その後慶応大学文学部で英米文学を専攻し、英語に一段と磨きがかかった。

サークルでは音楽活動をやってはいましたが、大学時代は「将来は音楽雑誌の編集者になりたいと思っていた」から驚き。

その後、1978年11月25日、シングル「戻っておいで私の時間」、アルバム『BEGINNING』で音楽家デビューをした。翌年、3枚目のシングル「SEPTEMBER」が発売され、これもヒット。1980年にはCM曲「不思議なピーチパイ」も大ヒット。

その当時、竹内はなかなか歌わせてもらえないタレント業に焦り、仕事に疑問さえ感じるようになっていきました。

結婚が契機で作詞・作曲活動に集中する!

1982年山下達郎と結婚。その時、音楽活動にけじめをつけるため一時仕事を休業しました。結婚以来、徐々にメデイアに登場はしなくなりましたが、作詞家・作曲家として新たなるキャリアを模索していたようです。

薬師丸ひろ子の「元気を出して」(1984年)、岡田有紀子の「DREAMING GIRL」(1984 年)、中山美穂「色・ホワイトブレンド」(1986年)、などいずれもヒットを飛ばし続けた。

その頃は、まだ子供も小さく、洗面所にキーボードを持ち込んで作曲をしたそう。子育てをしながら、ヒット曲を飛ばし続けるとは、並大抵な事ではなかったようです。そんな辛い思い出もさらっと言ってのけるのが、また、竹内まりやらしいと思ってしまうのです。

中森明菜のアルバム『CRIMSON』『REQUEST』への楽曲提供、そしてヒット。「駅」がセルフカバーとしてリリース、広く知られるようになりました。「駅」は竹内のベストヒット曲でもあります。

竹内まりやのベストヒット曲はアンケート結果で「駅」に決定!

2023年(ねとらば調査隊)の2023年4月2日~8日までのアンケート調査によれば、「竹内まりや」さんの作品の中で、好きなシングル曲はの1位は?の問いに「駅」という答えが。(有効回答数1355票)。

中森明菜に「駅」の楽曲を提供したころから、1990年テレビドラマの主題歌が数多くヒット。その後テレビドラマの主題歌の他、ベストアルバムが300万枚突破などママさんミュージッシャンは、いつの間にか、一流のシンガーソングライターの地位を不動のものとしました。

次々とヒット曲を連発、2004年には武道館と大阪城ホールでライブを決行、計2万5千人を動員。

子育てが一段落したこともあって、2007年には、オリジナルアルバム「デニム」を発売。この作品もオリコンチャート第1位を獲得。

その後、7年ぶりのアルバム「TRAD」は2週連続でオリコン1位を獲得。音楽家として功労のあった人に贈られる『岩崎時子賞』を受賞した。

2019年に『Turntable』をリリース。オリコンチャート1位を記録し、これにより「昭和・平成・令和3時代出1位を獲得した初の女性アーティスト」となると同時に「女性最年長1位獲得アーティスト」(64歳6か月)となった。

その後2021年コロナ禍でコンサートが中止、その後以前撮っていたコンサートライブを配信したりもした。

2024年10月29日アルバム『Precious Days』がオリコンランキングで1位となる

竹内まりやの名言8選

竹内まりやの歌詞も素晴らしいですが、雑誌などでお目にかかるインタビューでの発言が本質をついていて、本当にドキッとするくらいスゴイです。その片鱗を少しお見せしましょう!

1, 過去を悔やんでも変わらないし、未来を憂えてもしょうがない。

2, 今日を人生最後の1日だと思ってすごしなさい。

3, ひとつひとつ 人生の扉を開けては 感じるその重さ ひとりひとり 愛する人のために 生きてゆきたいよ。

4, 常に面白がっていきる、些細なことでもいいから

5, “生きること”って、拒絶できないじゃないですか。いかされているわけですから、だったら日々の一瞬一瞬を味わいながら面白く生きたいと思っているんです。

6, 幼い日は遠く気が付けば五十路を 超えた私がいる信じられない速さで。

7, 何かいつも素敵だなと思えることを探したい、だれかの良い部分に目を向けてみたりする。

以上、竹内まりやのインタビューで語られたこと、または重要な歌詞の一部分を以上にまとめさせていただきました。

まとめ:竹内まリやのこれから?

2025年のアリーナツアーで70歳を迎える竹内まりやさんが、あと何回できるかと弱音を吐いているようです。

しかし、フランス人歌手の故シャルル・アズナヴールは、日本最後のコンサートを何度も行い、94歳までステージに立ち続けました。

竹内まりやさんも、アズナヴールのように、大らかな気持ちで、コンサートに取り組むことで、死ぬまでカッコ良く素敵に生きると確信しています。

どうぞ、皆さま方も竹内まりやさんのようにチャレンジングにいつまでも若々しく、かけがいのない人生を幸せに生きていただきたい!

 

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