不治の病と闘っているセリーヌ・ディオン(56)がオリンピック開会式の7月27日深夜(日本時間)エッフェル塔の上で鮮烈な復帰を果たしたのです。
世界各国の選手団が乗船した船団のパレード、歌やダンスが終わった後でした。
突然、聖火がともった気球が舞い上がり、エッフェル塔の特設ステージにセリーヌ・ディオンが現れたのです。
そこで世界中で愛されている名曲エディット・ピアフの「愛の賛歌」を力強く歌い上げました。
セリーヌが歌を歌い終えると、インスタグラムは世界中の人々からの投稿であふれたのでした。
「いいね!」1,468,021件
セリーヌが歌った「愛の賛歌」の訳詞をご披露します
「愛の賛歌」はフランスの伝説的な歌手であるエディット・ピアフが、恋人のボクサーであったマルセル・セルダン(妻子持ち)への愛を歌ったものです。
ピアフが作詞、作曲はローラン・ディアンが担当。世界的なヒット曲となりました。日本では越路吹雪が歌い、大ヒットとなったのです。
では、セリーヌが歌った真正の「愛の賛歌」の仏語訳をここで一部ですが紹介しましょう。
「空が落ちてこようと
大地が崩れさろうと
構わないわ
あなたが愛してくれるなら
世界がどうなろうと
祖国だって捨てる
友人だって捨てる
あなたが望むなら
笑われたって構わない
何だってやってみせる
あなたが望むなら」
とほんの一部だけ、「愛の賛歌」の訳をご紹介しました。
この詩の持つ愛の力強さと、ピアフの強烈な情熱のほとばしりの一端を感じていただけたと思います。
エッフェル塔でセリーヌが着たドレスのストーリー?
ディオールのオートクチュールのアトリエで1000時間もかけて作られたシルバー色に光るドレス。これは、プレスリリースによると『何千個もの真珠と500メートルのフリンジ」で飾られていたそう。
そんな豪華なドレスもモデル並みにスキニーなセリーヌ・ディオンが着ると、まるで雑誌ボーグのグラビアから抜け出てきたようです。とてもお似合いで、その美しさにため息がもれたほど。
彼女のギャラは1曲歌うだけで3億円とか!そのギャラに相応しい豪華絢爛たるディオールのドレスだったのです。
また、当日のインスタグラムには、27日午前、自身のインスタグラムを更新して「パリ2024開会式に出席できて光栄です」とファンの皆様に挨拶をのべています。
では、世界の歌姫であるセリーヌはどんな人生を送ってきたのか、次の章から簡単に遡ってみましょう。
幼少期から歌手としての才能を見いだされるまでのストーリー?
カナダのケベック州に生まれたセリーヌは、14人兄弟の末っ子として育ちました。子供のころは全く英語が話せず、のちに猛勉強してやっと英語を話せるようになったそうです。
幼少のころより、音楽の才能をいかんなく発揮していたセリーヌは、12歳の時、彼女の音楽マネージャーで夫となる音楽家のルネ・アンジェリルと出会うことになります。
アンジェリルは自宅を抵当に入れて、セリーヌのデビューアルバムの発売資金を調達しました。彼こそセリーヌのデビューにおける立役者だったのです。
セリーヌが19歳の時、2人は恋に落ちました。2人の歳の差は26歳。周囲には反対する向きもあったのですが・・・・・
セリーヌの仕事は順調で1990年『哀しみのハートビート』で人気は爆発!
世界的な歌姫になっても二人の愛は変わらず、1991年極秘で婚約。3年後カナダで結婚式を挙げたのです。2人は合計3人の子供に恵まれました。
セリーヌと夫ルネ・アンジェリルは本当に仲の良いカップルでした。その関係は、以下のようなセリーヌの言葉に表れています。
「私たちはよく笑うわ。冗談も言う。いつもふざけ合っているし、お互いこの結婚を一生のものとしたいと思っているの。すべてのことをきちんと話しあえば、いつもハネムーン気分でいられるわよ。コミュニケーションをとること。それがもっとも重要なことよ」セリーヌ。
その後夫はガンに侵され、15年間の闘病の末、帰らぬ人なるのですが、二人の愛は変わらず、彼女はこんな言葉を残しています。
死を前にした夫に対して、セリーヌは
「彼はこう言ったわ『君の腕の中で死にたい』って。だから私は「分かった。私はその場にいる。「あなたは私の腕の中で死ぬわよ」って言ったわ。
いくら死を目前にしても、なかなか言えない言葉です。よっぽど、強固な信頼関係で結ばれていたのでしょう。
ルネは2016年1月、セリーヌが制作中の15枚目のアルバムが仕上がるのも待たず、亡くなりました。
セリーヌの出世作「映画タイタニック号の主題歌」のストーリー
映画タイタニック号の主題歌である「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」のCDセールスは全世界で1,500万枚売れました。東京都の2021年の人口は約1,396万人ですから、東京都の人すべてがCDを買ったことにしても、まだ足りません。
この曲でセリーヌはアカデミー賞、ゴールデン・グローブ賞、グラミー賞では4部門を受賞しました。
でもセリーヌは映画タイタニック号(1997年)その劇中歌である「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」をなぜか歌うことはほとんどなかったようです。
その後数々のヒット曲に恵まれたセリーヌは、世界25カ国93都市(2008年~2009年)をめぐる『Taking Chances』ワールドツアーを行いました。その時、300万枚のチケットを世界中で売り上げたのです。
2008年3月には東京・大阪でもコンサートを開き、計18万人を動員しました。
2024年8月14日には、「アイ・アム・セリーヌ・ディオン」が発売されます。世界的歌姫の感動のドキュメンタリーのサウンドトラックでありベスト盤です!
夫の死を乗り越えてすぐ、自分の難病!のストーリー
セリーヌの夫のルネは15年もの間、がんと闘い続けてきました。
1999年に咽頭がんとの診断。それはセリーヌにとってとても長い闘いでした。2014年8月には看病に専念するため歌手活動を休止。2016年1月14日夫を亡くしたのです。
2022年12月8日、筋肉の硬直や痛みを伴う難病「スティッフ・パーソン症候群」と診断されたことを公表しました。100万人にひとりの珍しい病気です。翌年のツアーの延期や中止を発表。
不治の病ではありますが、治療やリハビリを我慢して続ければ、小康状態になる場合もあるそうです。
ファンの皆様のサポートに対する感謝の念!
2024年7月26日、パリオリンピック開会式で愛の賛歌を力強く熱唱!エッフェル塔の特設ステージから、開会式を締めくくる重要な役割を担いました。
セリーヌはインスタグラムで「スティッフ・パーソン症候群」の患者やこれまで応援してくれた方々にあいさつを行いました。子供たち3人と一緒の写真を公表「今日は国際SPS啓発デーです」と綴り、メッセージを発信したのです。
「この自己免疫疾患克服への挑戦はもっとも辛い経験の一つですが、いつの日かステージに戻ると意志を固めたこと、可能なかぎり普通の生活を送ろうとする強い意志を今も持ち続けています。
子どもたちと家族、チーム、そして皆さんからの愛とサポートに深く感謝をしています!
SPSの影響を受けている世界中の皆さんに、私からの声援とサポートをお届けできればと思います。皆さんなら大丈夫!私たちなら克服できる!
愛とキスを。セリーヌ」
目下、セリーヌはラスベガスの邸宅で、3人の子供と亡き夫の思い出とともに、辛い痛みに耐え、リハビリのトレーニング中だそう。
「お帰りなさい!セリーヌ!!」
コメント