草間彌生ヴィトン現代芸術家その生涯とは?

イベント

あのファッションブランドの大御所、

ルイ・ヴィトンが、日本の

傑出した現代美術家の

ひとりでもある

草間彌生と10年ぶりにタッグを組みました。

 

数多くのヴィトンショップで、

ドット柄をはじめとする

草間アートとヴィトンの製品が

見事にコラボし、

商品化され、

2023年1月1日より

販売されています。

 

人口50万の都市ある

ヴィトンショップを

1月初旬に覗いてみました。

 

とにかくショウインドウの

一角は、草間のモチーフ

であるカラフルなドット柄で

覆われていました。

 

インターネットなどでは、

草間のデザインのバッグや

ネクタイ、Tシャツ、財布、スカート、

トレンチ、フレグランス等に

至るまで数多くの新製品が販売

されています。

 

ヴィトンに言わせれば、

「今や草間は21世紀を

代表する世界的な芸術家であり、

最も成功している存命の

芸術家であると

言えるでしょう」

とコラボ相手の

草間彌生を評して、

こう絶賛する。

 

それもそのはず、

2021年には、草間の

「無限の網」の

2点セットが17億8000万円という

高値で取引されました。

 

これは中国のオークションハウスで、

競り落とされた額で、

文句なしに成功した

日本の芸術家という形容が

ピタッとあてはまります。

 

ちなみに葛飾北斎の版画や

伊藤若冲の浮世絵などの

作品が2022年のザザビーズの

オークションにおいては

1億7000万円前後で

取引されていることを

考えれば、いかに草間が

美術マーケットにおいて、

高く評価されているか

お分かりだと思います。

 

ヴィトンがこんなにも

日本の芸術家に肩入れするなんて、

ほんと嬉しくなってしまいますし、

ますます草間彌生が

どんな人物なのか

知りたくなります。

 

数多くの芸術家の中でも、

最も成功したと言われる

草間彌生とは、

 

①どんな人物なのか?

②いくつなのか?

③結婚はしているのか?

④お子さんはいるのか?

 

など、下世話な話題から

その芸術性も合わせて、

以上4点にわたって、

時系列的に深堀を

したいと思います。

 

まず、①草間彌生とはどんな人物なのか?

について、簡単に生涯をまとめましたので、

お読みいただければ幸いです。

 

前期として、草間彌生の誕生から

渡米し、パートナーが亡くなるまで。

 

そして、後期はアメリカから

帰国後の草間の主だった

活動について、述べてみたいと思います。

 

1. 前期:草間彌生とは?誕生からアメリカへの旅立ち、そして失意の帰国

1929年長野県松本市に生まれ、

実家は有名な種苗商でした。

 

1945年の『第一回全信州美術展博覧会』に

16歳で入選。

このころから、芸術の才能が

あると認められていたようです。

 

現長野県松本蟻ヶ崎高校を

卒業後、現京都芸大の

4年生の絵画科に

編入学。翌年卒業しましたが

旧態依然とした日本画壇に

失望して自宅に引きこもり、

寝食を忘れて

絵画に没頭していたようです。

 

1952年松本市の公民館で

初の個展を開きました。

 

その時、生涯お世話になる

「よき理解者」を得ることに。

その後東京で4度、

個展を開きます。

 

1957年に渡米。

シアトルでアメリカ初の

個展を行った後、

ニューヨークに渡り、

マンハッタンのポスト抽象表現主義作家が

集まっていたギャラリーで個展を

開くことに。

そこで認められ、活動の基盤を

固めたのです。

 

1962年にはアンディー・ウォーヒルなども

参加したグループショーにも

参加し、他の様々な芸術家たちに

影響を与えました。

 

1960年代には反戦運動にも参加、

「前衛の女王」と異名をとり、

ベルギー国際短編映画歳に

入賞、第2回メリーランド映画歳

でも受賞しました。

 

1966年の第33回ヴェネチア・ビエンナーレでは、

「ナルシスの庭」と題して、

ミラーボール1500個を庭に

敷き詰める作品を展示、

アムステルダム市立美術館などでも

名声を博しました。

 

1973年、パートナーの

ジョセフ・コーネルが死去すると、

草間は体調を崩して、

日本へ帰国することになったのです。

 

 

2. 後期:草間彌生とは?帰国後は、絵画から小説まで!

帰国以降、草間は活動拠点を

東京へ移し、

1983年には小説

「クリストファー男娼窟」で

第10回野生時代新人文学賞を

受賞しました。

 

彼女の創作意欲が再び

ほとばしり始めたのは

1990年代初頭です。

 

1993年代45回

ヴェネチア・ビエンナーレに

日本代表作家として参加、

これを機に世界から

再評価を受けることに。

 

「神秘的な草間像におもねることなく、

戦後のモダニズム美術の流れの中での

草間の高い達成を紹介する方針

を取った」と話すのは、

日本館コミッショナーの

建畠哲氏。

 

同年、直島に初の野外作品

『南瓜』を

設置したのです。

 

1996年には、国際美術評論家連盟から

2年連続で、ベストギャラリー賞を受賞。

 

2002年紫褒章を受賞。

 

2003年リヨン・ビエンナーレに参加。

フランス芸術文化勲章を受賞。

 

日本でも文化勲章や数々の

賞を受賞。

 

2012年にはルイ・ヴィトンとの

共同コレクションを発表するなどし、

ファッションの分野でも

成果を収めます。

 

2016年『タイム』の世界で

最も影響力のある100人に

選ばれているのです。

 

その間、巡回展『YAYOI KUSAMA』が

パリのポンピドーセンター、

スペインのソフィア王妃芸術センター、

ロンドンのテートギャラリー

ニューヨークのホイットニー美術館のほか、

世界各国で大規模な展覧会が開かれています。

 

 

3. まとめ 草間彌生とは?結婚、子供などの疑問に答える

で、現在に至るわけですが、

戸籍上は結婚なさっていません。

でも、アメリカ在住時代に

親友でパートナーの

ジョセフ・コーネル氏という方が

いたようです。

残念ながら、1973年に

彼が死去し、彼女は病気のため

帰国しました。

 

お子さんはいらっしません。

が、養子がいらして、

長年ディレクターとして、

スタジオでの作業や

秘書業務全般を

支えてくれています。

 

現在、草間は93歳ですが、

7人のスタッフに支えられながら

仕事を精力的にこなしているようです。

 

ちなみにWikipediaに書かれてある

草間の肩書きは

23個にも及んでおります。

 

例えば、

女性インスタレーションアーティスト、

女性パフォーマンスアーティスト、

ポップアート・アーティスト。

フェミニストアーテイスト等と言った

具合です。

 

芸術といえども

様々な分野があり、

草間は、その垣根を越えて

芸術を追求してきたのだと

思います。

 

このバイタリティーはどこから

沸いてくるのでしょうか?

 

天性としかいいようがありません。

しかし、1973年に病気になり、

アメリカから帰国直後は

芸術活動を

控えていたようです。

 

でも1983年には角川書店の

第10回野生時代新人文学賞に

輝いています。

 

草間の場合、小説を書くと言っても

中途半端ではなく

20近くもの作品を残しています。

 

映画も2本のドキュメンタリー映画に

主役として出演し、世界的な賞を

いただいています。

 

まさしく、マルチに活躍なさり、

業績を残した方です。

 

いみじくも、ヴィトンが

草間のことを

「世界でも存命で、

最も成功しているアーティスト」

と絶賛している気持ちが

よくわかります。

 

以上、駆け足で草間彌生のの

生涯を追いかけました。

お気に召したでしょうか?

 

日本にもこんなに世界中で愛される

芸術家がいたのですね!

 

by sono

 

 

 

 

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