イブサンローラン回顧展いつまで?その生涯と才能そして愛

イベント

2023年9月20日(水)〜12月11日(月)まで、

六本木にある国立新美術館で、

『イヴ・サンローラン回顧展』が

開かれる。

 

20世紀の「モードの帝王」言われた

イヴ・サンローランは、

1962年から自分自身のブランド

「イヴ・サンローラン」を立ち上げ、

ミリタリールックをはじめとして、

モンドリアンルック、

サファリルック、

シースルードレス、

パンタロン等、

新しい時代のファッションを

提唱し、世界のファッション界を

リードしてきました。

 

政治的には激動の

60年代から70年代にかけて、

イヴ・サンローランは

才能あふれる感性でその時代の

変化を敏感にキャッチし、

ファッションを展開したのです。

 

そんな時代とともにあった

イヴ・サンローランの

作品が全部で110体。

そのほかアクセサリー、

ドローイング、

写真などによって、

イヴ・サンローランの

「仕事」の全容を明らかにします。

 

パリのイヴ・サンローラン美術館の

全面強力のもと

今回の展示が実現の運びと

なりました。

 

1. イヴ・サンローランとは?その生涯そして愛

イヴ・サンローランは、

1936年裕福なアルジェリアの

家庭に育ち、

パリのオートクチュール組合の

デザインコンクールで

カクテルドレスを発表。

そこで賞を受賞します。

 

18歳の時、彼は

『ヴォーグ・オム』の

ディレクターに見出されたのが

きっかけで、1954年、18歳で

その当時の大御所であった

クリスチャンディオールに

迎えられたのです。

 

1957年ディオールの遺志により、

21歳で後継デザイナーとなりました。

でも、その後の

「ホブルスカート(裾幅に狭い)は不評で、

60年のアルジェリア戦争に徴兵された

ことを機に、ディオール社を

解雇されました。

 

そんな窮状もものともせず、

1961年PRで定評があった

ピエール・ベルジュ、

アメリカ人のマック・ロビンソンと

共に自分自身の

オートクチュール・メゾン

「イヴ・サンローラン」を

立ち上げ、輝かしい

デビューを果たしたのです。

 

以後、60年代はモンドリアンルックを

発表、イヴ・サンローランの

プレタポルテ「イヴ・サンローランリブゴージュ」

の店をパリの左岸に

オープンしました。。

 

次々と新しいルックを発表。

60年代後半には、

サファリルック、

シースルー・ドレス、

ポップアートドレス、

ミリタリールック、

スモーキング革命、

パンタロンスーツ

などを次々に発表したのです。

 

また、既製服として

初めてパンツスタイルが

販売されたのもサンローランが

最初でした。

 

そして、60年から70年代の

ヒッピーやフラワーチルドレンの

登場は、イヴ・サンローランの作品に

大きな影響を与えました。

 

2. イヴ・サンローランとは?女優カトリーヌ・ドヌーブとの友情

1965年にカトリーヌ・ドヌーブが

エリザベス女王に

謁見する際に着た

ロシア風の

赤い刺繍飾りの白い

クレープのワンピースは、

まさしく、

社会的にクローズアップ

されたフラワーチルドレンの

影響を受けていました。

 

その後、ドヌーブは40年間に

わたり、イヴ・サンローランの

服を愛します。

 

ドヌーブはサンローランの洋服を

収納していた

ノルマンディーの自宅を

手放すことになり、

2019年1月24日に

イヴ・サンローランの服の

コレクションをパリで

オークションにかけたのです。

 

ドヌーブは

「才能にあふれた男性デザイナーが

手がけた、女性をより

魅力的に見せる作品ばかりだ」と

語っています。

 

ドレスや宝石300点あまりに

まじって、1969年に

ドヌーブがアルフレッド・ヒッチコック

に初めて会った時の

ミニ丈のドレスも

含まれていました。

 

2008年6月1日に

サンローランが亡くなった時には、

死んだサンローランの

枕元に座り、

彼にキスをしたのです。

 

友情はサンローランの

死ぬまでの間、

40年もの長きに

わたって続いたのでした。

 

また、死してなお、

後継者の手になる

イヴ・サンローランの

コレクションに

駆けつけるドヌーブの

姿が目撃されています。

 

 

3. イヴ・サンローランとは?パートナーであるピエール・ベルジェ

ここで、サンローランの

パートナーであり、

50年間にわたり、サンローランを

生涯支え続けた

ピエール・ベルジェにも

光を当てなければならないでしょう。

 

2008年にイヴ・サンローランが

亡くなってからも、

ピエール・ベルジェ=イヴ・サンローラン

財団会長の要職にあり、

死後もなお、パートナーを

盛り立てる仕事を

していました。

 

「私たちはピッタリとはまるように

作られたパズルのピースのようだった」

と話すのは長年のパートナーである

ピエール・ベルジェ。

 

1958年にベルジェは

サンローランと出会い、

サンローランが陸軍退役後、

病気になった時、

その彼を毎日、

ベルジェは見舞いました。

 

1961年にイヴ・サンローラン社を

設立し、ピエールは

1999年までその会長を

努めたのです。

 

2001年にピエール・ベルジェ=イヴ・サンローラン財団

を設立し、また数多くの

事業経営をしたほか、

エイズの撲滅運動を

行ったのです。

 

イヴ・サンローランを語るとき、

ピエールの存在なしには、

サンローランは語れません。

 

2008年6月1日、

サルコジ大統領列席の下、

イヴ・サンローランの

葬儀が執り行われました。

 

イヴ・サンローランの死後、

ピエールが2011年3月に

「イヴ・サンローランへの手紙」と

題した格調高い著作を

出版しています。

 

ピエール・ベルジェが巻頭の文で、

「私たちは別れたことなどあるだろうか?……

君と別れるにあたり、

イヴ、我が賞賛、我が深い尊敬、

そして我が愛を捧げたい」と

記しています。

 

ピエールは、2015年に

レジオンドヌール勲章オフィシェ

を受賞いたしました。

 

2017年にピエール・ベルジェ=

イヴ・サンローラン財団により

イヴ・サンローラン美術館が、

オープンしたのです。

 

もともと、個人宅で、

1974年〜2002年まで

メゾンの本社が置かれていた

ところを美術館に

改装したそうです。

 

アトリエやショーを

行ったサロンスペースや

展示室もあります。

 

サンローラン自身が

選んだ衣装が保存されて

いるのです。

 

5,000点以上の

オートクチュールコレクション、

15,000点以上のアクセサリー、

3万5,000点以上のデッサン、

布製品だそう。

 

サンローランのアトリエも在りし日

のままです。

ピカソやマチスなどの

芸術家に対する

オマージュを捧げた作品の数々。

 

舞台衣装なども、

「気分良く感じられる服を

身にまとっていれば、

何事もうまくいく、

良い服とは幸せの

パスポート」

と生前話していた

イヴ・サンローラン。

 

ピエール・ベルジェは、

この美術館のオープンにも

尽力なさったとか、

マラケシュにもある

サンローランの美術館も

ピエールの手になるもの。

 

現在、パリと、マラケッシュに

イヴ・サンローラン美術館は

あります。

 

モロッコのマラケッシュの方は、

4,000平方メートルの敷地に

150席もの講堂も

あります。

 

2017年美術館が

出来上がる前日、

ピエール・ベルジェは

永眠したのです。

 

 

4. 2023年のイヴ・サンローランは?例年のごとく

2023年のイヴ・サンローランの

春夏コレクションが

つつがなく執り行われています。

 

クリエイティブディレクターは

アンソニー・ヴァカレロ。

 

2022年9月27日、

毎年恒例の

エッフェル塔を臨む

トロカデロ公園で

2023年春夏が

発表されました。

 

ロングドレスとジャケット

そしてフードという

コーディネートは

斬新です。

 

また、コスメも

根強い人気を誇っています。

 

ローズカラーの

リップコレクション

「ロゼマニア」が登場し、

 


 

2023年2月1日より

日本全国数量限定で

発売されます。

 

イヴ・サンローラン、

ピエール・ベルジェは

死すとも、

脈々とその遺志を

受け継ぐ後継者たちによって、

メゾンは運営されています。

 

by sono

 

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