歌舞伎役者2代目市川猿翁さん生きている?藤間紫との愛の物語も!?

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400年の伝統を誇る日本の古典芸能の「歌舞伎」。

その重鎮であった2代目市川猿翁(えんおう)さんが9月13日死去されました。

49年間にわたって市川猿之助として歌舞伎界を牽引し、スーパー歌舞伎や海外公演などで新しい歌舞伎の可能性を広げた偉大な芸術家です。

市川猿翁さんの生涯と業績を振り返り、その魅力と功績を伝えたいと思います。

2代目市川猿翁〈3代目市川猿之助)とは?

市川猿翁さんは、1939年生まれの83歳で亡くなりました。「猿翁(えんおう)」とは隠居名で、若いころは3代目市川團子(いちかわだんこ)と呼ばれ、その後は49年間にわたって、3代目市川猿之助(いちかわえんのすけ)の名で広く知られていました。

本名は喜熨斗正彦(きのしまさひこ)といい、慶応高校で学び、慶応大学文学部の国文学科を卒業しました。

歌舞伎役者であり、演出家でもあったった猿翁。主な仕事として、映画やスーパー歌舞伎を手掛け、オペラの演出、欧米公演を行うなど、八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を繰り広げました。また、京都芸術大学の副学長を務めていたこともありあます。

猿翁さんは「ヤマトタケル」「新三国志」などのスーパー歌舞伎という新ジャンルを確立したのです。

人脈も広く哲学者の梅原猛、中村勘九郎、片岡孝夫、藤山寛美など東西の著名人など。

結婚は2度ほど。子供は香川照之(9代目市川中車)で、5代目市川團子は孫にあたります。

2012年 甥の2代目市川亀次郎に市川猿之助の名跡を譲り、自ら2代目市川猿翁を襲名。妻であった藤間紫の死後、30歳年下の女性が介護をはじめとして一門の面倒をみていたようです。

著書も7冊、評伝は2冊。1976年芸術選奨新人賞、81年ボローニャ市文化功労章、87年フランス芸術文化勲章オフィシエ、90年芸術選奨文部大臣賞、96年読売演劇大賞優秀男優賞、菊池寛賞、2000年 紫綬褒章、10年文化功労者、13年モンブラン国際文化賞等を受賞。

スーパー歌舞伎

23歳で3代目市川猿之助を襲名し、伝統にとらわれない新しい歌舞伎を模索したのです。それは、江戸時代のケレン味たっぷりの歌舞伎の復活、古典歌舞伎に新たなる演出を付け加えたものでした。

68年には今でこそ当たり前になっている「宙乗り」を「義経千本桜」で復活させて、周囲をあっといわせたものです。早変わりなど、邪道扱いされていた派手な演出を次々と復活させました。

猿之助歌舞伎は人気を博し、このあとのスーパー歌舞伎の時代に突入します。

86年の「ヤマトタケル」に代表される古代神話などを題材とし、わかりやすいセリフや音楽、「3S」といわれるスピード、ストーリー、スペクタクルの要素を盛んに取り入れた新しい試みに、歌舞伎界は大いに沸き立ちました。3代目市川猿之助は、新しいジャンルである「スーパー歌舞伎」を構築したのです。

また、一門の若手の育成にも尽力しました。このような功績が認められ2010年には、文化功労賞に選ばれています。

 12歳年上の藤間紫との恋そして再婚

3代目市川猿之助は、65年に舞台共演をきっかけに最初の結婚を浜木綿子とし、長男の香川照之が生まれました。

しかしながら、12歳年上で日舞の6世藤間勘十郎夫人の藤間紫が忘れられず、浜木とは離婚。藤間紫と同棲を30年続け、00年に正式結婚するも、09年に藤間紫さんは亡くなりました。

3代目猿之助とは、子供があっても藤間紫という初恋の人を忘れることのできない「夢多き少年」だったようです。ロマンにあふれる人生そして、「ヤマトタケル」のセリフではないが、まさしく恋慕うという意味で、「天翔ける心」をもった3代目猿之助でした。

 

3代目猿之助の後継者の行方

藤間紫が生前、3代目猿之助と息子の香川照之との間をとりもち、親子の関係修復に尽力しました。香川は47歳になってから、歌舞伎界入りを果たしましたのです。3代目猿之助(2代目猿翁)と香川は一時同居するまでとなったのです。

でも、晩年は、悲しいことが続きました。今年5月に兄の段四郎さんを亡くしたのです。そして、甥の4代目猿之助は両親の自殺ほう助の罪で、現在、刑事被告人の身となったのです。

3代目猿之助(2代目猿翁)は4代目猿之助に名跡を譲ったにもかかわらず……

どんな思いで、2代目猿翁は、死の床についたのでしょうか…さぞかし無念だったでしょう。

いま、4代目猿之助が公待ちのあいだ、猿之助の代役は、5代目市川團子が務め、澤瀉屋(おもだかや)のホープとしてにわかに脚光を浴びています。

4代目猿之助は、立役から女形までこなし、古典や新作ものもこなす、オールマイティーの千両役者でした。その代役に抜擢されたのが、5代目團子です。

若干19歳ですが、若手ホープの活躍に周囲の歌舞伎関係者はほっと胸をなでおろしたようです。チケットの売り上げも好調とのこと。

まとめ 5代目市川團子の活躍で救われた

歌舞伎界の「革命児」とも称される3代目の市川猿之助の舞台人としての活躍、そして恋愛にと思いっきり生きた人生でした。それは、永遠に語り継がれていくものでしょう。

2代目市川猿翁が亡くなって歌舞伎界、とくに澤瀉屋は試練の時を迎えているのです。

そんな中、中車の息子の5代目團子は本当に楽しみな歌舞伎役者に育ちました。團子は、こうコメントを残しています。

「私にとって祖父は偉大なる存在で、目指すべき目標でした。まだまだ教えてほしいことがたくさんありましたが、とても残念でなりません。この先は、祖父が大切にしていた『天翔ける心』『夢見る力』を忘れずに、精進してまいりたいと思います」とコメントしています。

 

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