森井翔太郎は3月渡米?アスレチックスとマイナーリーグ契約で入団偏差値71の2刀流!

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米国のアスレチックスとマイナー契約を決めた桐朋高校3年生の森井翔太郎選手。

2025年3月1日の渡米を前に記者会見を行った。

2024年高3の時行われた秋季東京大会には、森井翔太郎選手の活躍ぶりを一目見ようと、大御所ドジャースを含む42人のスカウト達が集結した。

楽天・部坂スカウトは「ポテンシャルは高い。打力があり,肩も強く、走力もある」とべたぼめ!

多くのスカウト達の注目を浴びたが、日本の球団ではなくメジャーのアスレチックスとマイナー契約を結び、渡米することになった。

まずは森井選手の略歴

森井翔太郎選手は、2006年東京府中市生まれの18歳。桐朋高校3年生でもあります

桐朋小1年時に住吉ビクトリーズで野球をはじめました。2年生の時からは、武蔵府中リトルに所属し、主に外野手としてプレーしたのです。小3の時全国選抜リトルリーグ野球大会で優勝。4,5年生の時にはリトルリーグ野球全国大会で2年連続優勝という快挙を達成しました。

6年生の時にライオンズジュニアに選出され、桐朋中では練馬北リトルシニアに在籍後、桐朋中学校の1年秋から同校軟式野球部でプレーしたのです。これは、「体に負担の少ない軟式で勝負しようとした」試みでした。この軟式に転換することによって、練習方法を大きく見直したのです。

桐朋高校では1年夏から3塁のレギュラー、2年秋から遊撃手(2塁と3塁の間を守る。守備が上手い人が抜擢されることが多い)。183センチ、86キロ、2投流の右投げ左打ち。

生い立ち、スポーツ一家の森井家

父親は関西学院時代には、アメリカンフットボールの選手だったそう。現在は大手企業のエリートサラリーマンです。

月5万円近くの金額を小学校の授業料としておしげもなく払えるのですから、お金持ちと言えるでしょう。

また、森井選手が高3年生の時一家で渡米し、6日間にわたり、メージャーリーグやマイナーリーグを観戦し、米大学の施設も見学したのです。お金があるからできたことですが、アメリカへ行くことで、米国でやって行くんだ!という明確なビジョンを再確認したそう。

それにしても、森井一家はお金の使い方が実に上手だと思います。

例えば、父親志郎氏は、森井選手に対しては、小学校1~2年のころ、「どんなにゲーム機をねだられても、買い与えない」という教育方針だったそう。

クリスマスの時に、森井選手がいくらゲーム機を父親におねだりしても、2年続けて無視されたそうです。3年目には森井選手自身が野球に夢中になり、ゲーム機のことはすっかり忘れてしまい、おねだりもしなかったとのこと。

父親は、森井翔太郎選手がスポーツに夢中になり自然とゲーム機のことを忘れるのを待っていたようです。本当に森井さんのご一家は子供の将来のことを考えたお金の使い方をするご家庭のようです。

一方の母親もスポーツレディーで、ヨガのインストラクターだそうです。翔太郎選手にもヨガを教えたりしたとのこと。「ヨガでしなやかさだったり、関節のやわらかさだったりもそうなんですけれど、 呼吸と動きを連動させて、どこで吸って、どこで吐いたらいいのかというのを常に意識してやっていました。両親の存在がなかったら、今自分はここにいないと思っているので、本当に感謝しています」と話す。

ヨガを母親から教わり、柔軟性を手に入れた森井選手。ロッテの榎甘スカウトディレクターは、森井選手の体の柔らかさを指摘していました。

 小3の時始めた母との野球の交換日記

ヨガのインストラクターをしていた母親の純子さんと二人三脚で書きつづった交換ノートというか「野球ノート」を小学生の時代からつけ始めました

母親の純子さんは野球の専門の知識はなかったのですが、「それでも息子の成長を支えるために、書くことで単なる練習の積み重ねではなく、気づきを記録し、見返し成長につながる習慣が生まれたのです。

『森井選手自身もノートが手助けになった』と言っています。」

大谷選手の場合子供のころやっていたのは、マンダラチャートでしたが、森井選手の場合、大きな「9マスノート」(M9notes)といわれるものを使用し、頭を整理するのに使ったようです。

書き方は、まるでマンダラチャートのようで、

中央のマス目に「目標」や「テーマ」を書き、周囲に具体的なポイントを書くというもの。

シンプルな書き方が思考を整理し、次への行動とつながるそうです。アスリートもビジネスパースンも「ノート」に書くことを大切にしているのでは?とM9notesの製造元は言います。

 高校進学は野球強豪校へのススメも断り、桐朋高校へ進学した理由

①桐朋高校では、一人一人の自主性を重んじる

②充実した練習環境。桐朋高校の練習時間は2時間程度と短いですが、グラウンドは広いですし、自分で考えて練習できる環境でした」と話す。

③田中隆文監督からの手厚いサポートがありました。

また、桐朋は英語教育にも力を入れていることなど、森井選手のその時、欲しいものが桐朋高校で全部そろっていたのでしょう。

高校2年の時、東京大会、3年生の時スカウトが14社、ドジャースも試合を見守る

桐朋高校の彼のキャリアは、1年生の夏から始まり、特に注目されたのは、2年生夏の西東京大会4回戦進出と3年の夏の初戦敗退です。

3年生の7月、高校野球全国大会での素晴らしい彼のピッチングや打撃が話題となり、その動画がYouTubeで拡散されたのです。これにより、多くのアメリカのスカウトや関係者の目にとまりました。

その後、彼の才能を評価したアメリカの関係者は、「トライアウト(入団のためのテスト)」を行いました

その結果、マイナー契約をアスレチックスと結ぶことに至りました。

契約金額は、NPBを経由しない日本のアマチュア選手としては最高額の150万ドル(約2億3300万円)です。加えて、引退後やオフシーズンに大学で学べるなど、手厚い契約内容となっています。

契約は1月15日に米国で結ばれ、記者会見を2月11日に東京都国立の桐朋高校で行われました。

契約後も、米国アリゾナ州の球団施設で練習を継続し、記者会見の全日10日に帰国しました。記者会見の席上「選手たちの体の大きさに驚かさせられた」と開口一番。でも、森井選手も中学入学時には154センチしかなかった身長も184センチまで伸び、体重89キロの素晴らしい肉体になりました。

記者には、1ケ月前と比べて森井選手の体は一段と大きくなったと目に映ったようです。また、この記者会見は米国で闘いぬく意思を強く感じさせた、60分の会見でした。

現在どんな選手に成長したのか?

最速153キロの速球を投げる能力と高校通算45本塁打の実績を持つ大型選手!というのが森井選手についての形容詞。

打席では深い構えから力強いスイングで長打を連発し、多彩な球種を操る本格派投手としても知られています。

3月1日の渡米に向けて、準備は整っているようです。アメリカで行われた球団の試験も無事クリアーし、海の向こうで練習も積んできたようで、本当にたくましくなった18歳。

NPB(日本野球機構)を通さずにMLBへ直接行けるのですから、Dream becomes true!さぞかし、嬉しいことでしょう!

まとめ

  • まずは森井選手の略歴を
  • 生い立ち、スポーツ一家の森井家
  • 母との野球の交換日記。
  • 高校は野球強豪校がイイとのススメを断り、桐朋高校へ進学した理由
  • 高校3年生の時スカウトが14社、ドジャースも試合を見守る
  • 現在どんな選手に成長したのか?

以上、森井翔太郎選手のあらましをお伝えしました。

NHKによれば、高校からメジャー目指した例は、これまでのところあまりないとのこと。

森井選手は、マイナーリーグからスタートし、3年から4年後にメジャーデビューをしようといういうものす。

長期的な目標としては

  • ワールドシリーズ制覇
  • サイヤング賞獲得
  • 本塁打王のタイトル獲得

投手としては、最速160km/hを目指しています。「可能であれば、どちらかではなく二刀流で行きたい」と抱負を述べました。

英語の勉強も怠りません。これは、米国の生活やチームメイトのコミニュケーションに備えてのこと。高3とは思えないしっかり者の森井翔太郎選手です。これなら、米国での一人暮らしも心配いらないでしょう。

とにかくメチャクチャ期待がもてる森井翔太郎さんのストーリーでした

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